2019年5月1日、新しい天皇陛下が即位され、元号が『令和』となりました。
31年続いた平成の時代が終わり、これから新しい時代の幕開けといった感じですね。
しかし世界各国の事情を見てみると、実は元号を未だに採用しているのは日本だけみたいなんですよね。
過去には中国も元号を採用していた時期もありました、というより元号というのは東アジアの国特有の制度みたいですね。
今回は未だに日本だけ採用されている元号制について、その歴史や問題点も含めて詳しくまとめてみました。ぜひご覧ください!
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日本で元号が採用されたのはいつから?
天皇陛下の退位と即位に従って、平成から令和へと元号が変わりました。
冒頭でも紹介したように、元号を未だに採用している国は日本が世界で唯一です、そのため今回の行事は世界各国から注目を浴びました。
実はこの元号制は歴史を遡ると今から1500年も前から続いているんです!
記念すべき一番最初の元号が「大化」です、みなさんも歴史の授業で習った『大化の改心』の大化のことですよ。
この大化の改心(正確に言えば『乙巳の変』)が起きたのが西暦645年の時で、この年に即位した第36代の孝徳天皇が史上初めて元号を立て、大化元年としました。
昔の元号はころころ変わった?
この年以降日本ではずっと元号が続いており、今回の令和は248番目に当たります。
また歴代の元号の推移を見てみると、近現代のように天皇の退位と即位に伴う改元ではなく、大規模な自然災害などが起きた時や、何かおめでたいことがあった時にも改元するといった例も少なからずあります。
挙げるときりがないですが、以下のWikipediaのページから大昔の日本の元号の推移を見てみると、10年未満で変わった元号が数多くありますね。
元号一覧_(日本)
今の日本では天皇の在位中には元号が変わることはなく、即位してから退位するまでは同じ元号のままです。
これを一世一元の制と呼ぶのですが、実はこの制度が採用されたのは明治時代になってからです。
昭和が歴代で最も長く続いた元号で、その次に明治が続き、平成は4番目に長く続いた元号ですが、こういった制度的な理由があるんですね。
元号法とは?
日本で元号が採用されている法的根拠となっているのが、1979年に制定された「元号法」です。
これも豆知識になりますが、実は日本国憲法で元号について言及されている部分はどこにもありません。
元号法の内容は以下のようになっています。
- 第1項:元号は、政令で定める。
- 第2項:元号は、皇位の継承があった場合に限り改める。
附則
- 第1項:この法律は、公布の日から施行する。
- 第2項:昭和の元号は、本則第一項の規定に基づき定められたものとする。
引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/元号法
本則の第2項はまさに一世一元の制のことです。
「昭和」については第1項の規定に基づいて定められ、また「平成」については「元号を改める政令」によって1月7日に公布され、翌日1月8日から施行された形です。
また今回の「令和」についても同じく政令によって定められましたが、「平成」と違って、一か月前から公布される形になりました。
菅官房長官が4月1日の記者会見時に、「令和」と書かれた色紙を両手に持った姿が有名になりましたが、あれがまさに公布となります。
一方で、西暦については元号法のような法律による規定は存在しません。
そのため多くの役所などの公文書では、元号と西暦の併用はあっても、西暦だけで書くような形式はまずありません。就活で作成する履歴書なんかも、西暦ではなく元号表記が多いですね。
元号の発祥は中国!
元号は今でこそ当たり前のように日本で用いられていて、その歴史も1400年近くも続いていて驚きますが、実はその発祥はお隣の中国でした。
日本と中国は同じ漢字圏で、文化的にも影響を多々受けている部分はありますが、元号の由来もやはり中国だったのです。
中国で元号が初めて用いられたのは、今から2000年以上も前、紀元前115年の頃で、前漢の武帝が治世していた時代でした。
古代中国においては元号の使用は、皇帝の統治権を強くアピールするものでした。
また元号を変えるということは、特に中国では「前王朝を倒して、新たな王朝が誕生して新しい支配制度を確立させる」という意味合いも込められていました。
改元も多く行われてきましたが、1368年に明王朝が誕生してから、やはり一世一元の制が導入されることになりました。
ただし中国の元号は、清王朝が辛亥革命によって倒された1911年以降に廃止されました。
王朝がなくなるということは君主の権威性もなくなるので、ある意味当然とも言えます。
それ以降は中華民国や中華帝国、さらに満州国などが独自の元号を建てていましたが、中華人民共和国が大陸を制覇してからは結局西暦(中国語表記で“公元”)を使用することになりました。
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西暦が採用されたのはいつから?
元号と対を成す紀年法がご存知西暦です、今年は西暦2019年ですね。
特にインターネットが普及した昨今では、いろいろなサービスを利用する際に自分の生年月日を入力する人も多いですが、恐らく全て西暦で入力すると思います。
世界史の出来事も全て西暦表記ですよね。
この西暦が日本にやってきたのが、16世紀の頃でカトリックの宣教師によってもたらされたのが最初と言われています。
今から500年以上も前に既にやって来ていましたが、現在のように一般化されることはありませんでした。
西暦が普及しなかった理由は?
西暦が普及しなかった最大の要因は、江戸時代に出された禁教令にあります。
西暦というのはイエス・キリストが生まれた年を元年(西暦1年)とする紀年法で、キリスト教と結びついているがために使用が禁じられました。
再び西暦が使われるようになったのは、江戸時代が終わりを告げ明治時代に代わろうとした時です。
1872年に西洋に合わせる形でそれまで用いられてきた天保暦からグレゴリオ暦へ移行させ、西暦の使用も始まりました。
ただし西暦自体がキリスト教と深い繋がりもあり、西洋諸国が世界各地で進めた植民活動などによって伝わった結果広まったという考えもあったせいで、第二次世界大戦が始まると西暦という言葉自体が敵性語という扱いを受けました。
そもそもそれまでの日本人にとっては、元号や干支で年を数えるのが一般的だったので、西暦で数える方がややこしく感じたのでしょう。
西暦(キリスト紀元とも言う)に対抗するという意味も込めて、明治時代では新たに神武天皇が即位した年(紀元前660年)を元年とする『皇紀』を用いていました。
これは独自の年号を使うことで、「どの国の属国でもない独立国である!」というアピールを強く打ち出そうとした狙いがありました。
戦後になって元号廃止論も?
戦前の元号制定は天皇自らが決める、即ち勅定によるものと明記されていました。
詔書を用いて公表されることもあって、法的拘束力も立派にあったのです。
ところが第二次世界大戦が終結し、日本がGHQに占領されると皇室典範が改正され元号の法的根拠が一時的になくなりました。
これに伴って浮上したのが“元号廃止論”です。
戦争が終わった翌年の1946年、衆議院議員の尾崎行雄が
「1945年限りで昭和を廃止して、1946年を『新日本』の元年として、以後は「新日本○○年」と表記すべきだ。」
という内容の意見書を出しました。
また第55代内閣総理大臣の石橋湛山も、雑誌において元号の廃止と西暦の使用を主張しました。
1950年頃から国会でも元号の廃止が議題に上るようになっていきます。
しかしここで東京大学教授の坂本太郎が
「元号の使用は独立国の象徴であり西暦よりも遥かに意義がある。大化の改心とか建武中興、さらに明治維新といった用語もあって、日本の歴史の出来事や文化とも深く関係している。」
として廃止する必要性は全くないと強く主張しました。
これ以降元号廃止論は一旦低調になって、西暦と元号の双方が使用されるようになりました。
しかし元号は日本国外では通用しないこともあって、徐々に西暦の併用も増加してきました。
特に顕著になったのが、1964年の東京五輪の時です。
国際的なスポーツ祭典ということもあって、海外から多くの人が来日するわけなので、元号で表記したって何のことかわかりません。
大々的に西暦を使うようなキャンペーンが行われましたが、それでも1976年に行われた元号に関する世論調査では、「国民の87.5%が元号を主に使用している」という結果になったそうです。
やはり年配者を中心に未だに元号だけを使う人は多いみたいです。
しかし元号が昭和から平成になって、インターネットが普及していくと徐々にですが、「西暦を併用する人」も増えてきました。
僕自身もこの世代なのですが、やはり昭和や平成と聞かれても頭の中で自動的に西暦何年か変換するようにしていますね。
- 昭和○○年の場合、「○○+25」の数字に1900を足せば西暦になる
- 平成○○年の場合、「○○-12」の数字に2000を足せば西暦になる
例:昭和30年は「30+25+1900=1955」
例:平成10年は「10-12+2000=1998」
平成に関しては途中で21世紀になるのでややこしいですね。
元号の問題点とは?
元号の使用については不都合な場面になることも多々あります。
例えば西暦は終わりが基本的にないので、遠い未来においても西暦3000年とか4000年、さらに紀元前についても表記できるのですが、元号については基本的に有限でいつかは終わるので、“令和50年”といった遠い未来については正確に表現できません。
昭和末期には未来の予測で「昭和70年度末」とした表記も多かったようです。
また昭和から平成になった際にも大きく問題になったのが、新元号を公文書に記載するスペースが設けられることです。
これによって全国の自治体の市役所は当時大忙しくなりました。
それまでなかった「平成」という元号を新たに印字して追加したり、既に出回っていた印刷物の修正もしないといけなくなったわけですから、莫大な費用と人手が必要だったでしょう。
さらに先述したように、元号は日本国内でしか通用しないこともあります。
しかし最近ではネットの普及などによって西暦でしか年を換算できない、もしくはわからない人も増えてきており、そうした人達との間でもやはり元号ではなく西暦で換算してから話した方が早かったりします。
元号に固執することはない?
元号の使用は1979年に制定された元号法で法的根拠はありますが、国民にその使用が強制されることはありません。
このことは元号法制定時の国会の答弁でもありました。
法律が制定された後も、多くの役所で元号の使用を強制しないよう注意喚起がされました。
しかし現在日本の政府機関や地方公共団体などが作成する公文書では、基本的に元号のみが用いられて、西暦の使用を事実上禁止しています。
このことが日本共産党やキリスト教原理主義者団体などから、思想や信教の自由の侵害であると批判されています。
もちろん日常生活においては間違いなく強制されることはないでしょうし、西暦だけで数えても特に差し支えありません。
公式な場でも元号が使われますが、あくまで“形式上使う”という意味合いがあるに過ぎません。
まとめ
改めて説明しますが、日本は元号が採用されている世界で唯一の国です。
もちろん天皇制が続いているからというのが最大の理由かもしれませんが、廃止する強い理由も特にないのが現状です。
また他国から強い批判もあるわけではありません。
不便に感じる場面も確かに出てきますが、世界を見渡すとイスラムの世界ではイスラム暦があり、台湾では民国紀元、韓国では檀君紀元、北朝鮮では主体暦といった独自の紀年法があります。
要は言語や文化と同じで、その国独自の年の数え方があるのは何も不思議ではありません。ファンタジーの世界でよく登場する“王国暦”というのも同じです。
また今回の改元のように天皇の譲位による改元というのは、おめでたいムードがあって、国民全員が「新しい時代の幕が開いたんだな!」という意識が芽生えるような感じです。
各企業なども改元に伴って「平成最後の○○キャンペーン!」、「令和最初の○○キャンペーン!」といった大々的なセールを行っていました。
元号を採用する日本だけにしかできない商法ですね。
これ自体が良いのか悪いのかという話は別として、やはり元号を採用するということは、ある時代について一定の区切りがつくという意味でいい指標かもしれません。
- 昭和の時代にはこうした出来事があった
- 平成の時代にはこうした出来事があった
といった感じで、歴史を振り返る場面でも何かと役に立ちます。
長くなりましたが最後までご覧いただきありがとうございました、新元号になっても当ブログは運営し続ける所存です!
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