両国国技館といえば、大相撲やプロレス、ボクシング、コンサート、ロボットコンテストなどあらゆるスポーツやイベントが行われる興行会場として使われますね。

その両国国技館は東京都墨田区横綱一丁目にあります。


そしてこの辺りの地域は「両国」という地名で呼ばれています。

「両国」というからには、何か国が関係していると思いませんか?


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両国の地名の由来って何なの?

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両国って具体的に何と何の国を指すの?

こういった疑問を抱いている人も多いのではないでしょうか?


僕自身も凄く気になったので、今回は墨田区の両国の地名の由来を詳しく探っていきます!




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両国の地名の由来とは?

東京都墨田区にある隅田川の東側には総務線の両国駅があって、その北東に両国国技館、南西に両国橋、西側にパールホテル両国などなど。

いろいろな建物に両国という名前がありますが、一体全体なぜこの地帯が両国と呼ばれているのでしょうか?


その答えを先に申しますと、

江戸時代に下総国と武蔵国の両方に跨っていたから

という事実が由来です。


両方の国に跨っていた、両方の国を掛ける存在、それが由来で「両国」と名付けられた、ある意味そのままですね。

ではまず両国って具体的にどこにあるのか。Googleマップで見てみましょう!

マークが付いている箇所が両国国技館です。

この南西にある「両国橋」は隅田川にかかっていて、ここから西側を武蔵国、東側を下総国と呼んでいました。

まさに隅田川がこの2つの国の境目となっていて、両国橋は2つの国を跨ぐ形だったのです。

この両国橋が架橋されたのが1659年の時で、江戸幕府の勢力が隅田川を挟んで東側に拡大する足掛かりとなりました。

因みに当初は幕府によって「大橋」と名付けられていました。また現在行われている隅田川花火大会も、その昔は両国花火大会と呼ばれていました。

昔の両国は東西逆?

今でこそ両国という地名は、両国国技館や両国駅、パールホテル両国などに使われていますが、いずれも両国橋の東側にあります。

西側はと言いますと、現在では「両国郵便局」はありますが、それ以外で両国と名前が付く建物がほぼありません。


でも歴史を紐解くと、元々両国と呼ばれていたのは、両国橋の西側だったのです!

ここで西側と東側、それぞれどのように名称が変化していったのかを簡単に紹介します。

両国橋の西側 両国橋の東側
江戸時代 両国 東両国(向両国)
明治時代(東京市15区創設後) 日本橋両国 本所東両国
現在 東日本橋 両国

西側と東側それぞれこのように変わってきました。

元々両国と言えば、武蔵国側(隅田川西側)の称だったのです。

現在では両国駅の開業や両国国技館の開館に伴って両国という地名が次第に東両国を指すようになって、1971年には西側を「東日本橋」、1967年から東側を「両国」と改称しました。




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両国国技館はなぜ墨田区に?

両国といえば、何と言っても両国国技館が有名ですよね。

収容人数は1万人以上、面積が35,700㎡を誇るのですが、なぜこれほど大きな国技館が両国に建てられたのでしょうか?


実はその答えは大相撲の起源とも関係しています。

大相撲の起源は、「回向院」という浄土宗の寺院の境内で行われた勧進相撲にあるのですが、これが行われたのが両国国技館があった場所なのです。

つまり回向院があった場所に両国国技館を建てた、ということになります。


ただ現在の両国国技館は、東京都墨田区横網一丁目にあるのですが、実は回向院がある場所は墨田区両国二丁目で場所が違いますね!

現在の国技館は2代目で、回向院があった場所に建てられた旧国技館から北に500m近く離れた場所に建てられました。地図でその場所を示します。

因みに2代目の国技館の建設が発表されたのが、1981年で約3年という短い歳月で完成します。

翌年の1月9日に記念すべき大相撲初場所が行われ、そこでかの横綱北の湖が引退するという衝撃的な世代交代の場所ともなりました。

長年の大相撲ファンにとっては、現在の両国国技館はいろんな意味で思い出が詰まった場所ですよね。

【横綱ではなく横網?】

これは割と有名かもしれませんが、現在の両国国技館の住所は東京都墨田区横網一丁目ですよね。


だけどよく見てみください!

一見「横綱」っぽく書かれていますが、実は間違いで正しくは「横網」になっています。「綱」(つな)ではなく「網」(あみ)です!

パット見ただけでは気が付きませんよね、僕も騙されていました(;^^


両国国技館=大相撲=横綱

こういった先入観が大きく働いて、「横網」なのに「横綱」と読み間違う人は多いみたいです、注意しましょう!


おまけ:その他に両国と付けられた地名

両国と言えば現在では東京都墨田区の地域ですっかり定着しましたが、実はそれ以外でも両国とつく地名はあります。

かつてあった地名まで含めると、

  • 千葉県富里市十倉の字名、かつての上総国と下総国の境界
  • 愛知県海西郡にあった村名、かつての尾張国と伊勢国の境界
  • 大阪府大阪市旭区にあった旧町名、かつての摂津国と河内国の境界
  • 徳島県徳島市の両国橋周辺、かつての徳島藩と冨田藩の境界

などがあります。

いずれも東京の両国と同じで、やはり2つの国や藩の境界地域という点が共通しています。

まとめ

今回は両国の地名の由来、及び両国国技館の歴史を詳しく探っていきました。

それでは最後に簡単にですが今回の内容をまとめます。

  • 墨田区の両国という地名は、武蔵国と下総国の2つの国の境界だったことが由来
  • 隅田川の西側は東日本橋、東側が両国となっているが、昔は西側が両国と呼ばれていた
  • 旧両国国技館があった場所は元々両国二丁目の回向院で、大相撲の起源と関係

2つの国に跨っていたから両国という由来は確かに単純でしたが、歴史を探ってみると、西側と東側で地名がコロコロ変わっていたのも意外でしたね。

由来がわかると両国への熱意も変わってきました。今度訪れた時はぜひいろいろな場所を探索してみようと思います!


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