日本には大小合わせて47の都道府県があり、そのいくつかは○○地方と区分されています。

僕の住んでいる福岡は九州に属するので九州地方です。

だけど隣に目を見渡すと、意外な名称の地方があるんです。


それが「中国地方」です。

広島、山口、岡山、鳥取、島根、の5つの県がある地方ですが、どうして日本なのに「中国地方」と言うのでしょうか?


正直お隣にある国の「中国」と紛らわしいですよね。

現に1990年に中国銀行が日本進出する際、岡山市に本店を置く同名の銀行と名称が被っているということで話題となりました。

外国人男性

確かに日本なのに「中国」っておかしいよね。何が違うんだろ?

好青年

学校の先生も由来まではよく知らなかったようだね。今更だけど、どうして「中国」と呼ぶんだろ?

改めて日本にある地方なのに「中国地方」っておかしいですが、その由来を尋ねられるとちょっと答えにくいですよね。

ということで「中国地方」と「中国」の違いと、どうしてそういう名前になったのか、由来を詳しく見ていきましょう!




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「中国地方」は昔から「中国」と呼ばれていた!

歴史を遡れば、1300年代に世に出された「太平記」という書物に、既に中国地方のことを「中国」と呼んでいたことが伺えます。

戦国時代には豊臣秀吉による中国大返し(本能寺の変の後で豊臣秀吉が明智光秀を討つために行った軍団移動の事)も、歴史マニアにとっては有名です。

またキリスト教思想家でもある内村鑑三も、現在の中国地方のことを単に「中国」と呼んでいたと言われています。


このように昔から「中国地方」という呼び名はある程度定着していたようですね。

では「中国地方」を「中国」を呼ぶ理由ですが、凄く単純に考えて「中華人民共和国」の「中国」から来ているのでしょうか?

答えはNOです!


調べてみたらその由来は、主に以下の3つの説に分かれるようです。

  • 日本神話に登場する葦原中国(あしはらのなかつくに)が由来とする説
  • 昔の日本を「近国」「中国」「遠国」と分割していたことに由来とする説
  • 大宰府と都の中間にあった国という説

うぅーん何と言うか、どれもしっくり来そうな来ないような感じですね。

ただハッキリしたのは、やはり「中華人民共和国」の「中国」が由来になっていることではなかったことです。

ということで、3つの説を順番に見ていくことにしましょう!

葦原中国(あしはらのなかつくに)が由来とする説

いきなり「葦原中国」というなんか難しそうな言葉が出てきて、驚いた人も多いでしょう。

これは古代日本の神話に登場する、スサノオノミコトという神が降り立った場所のことを指すのですが、その主要地域が現在の中国地方にあったからだとされています。

この地は現在でいうと出雲大社がある場所、すなわち島根県東部にあたります。


「葦原中国」の場所だから、その「中国」という名称を取ってきた、確かに頷けます。

だけど神話色が非常に強い内容でもありますし、そもそも中つ国とは古代日本の全域を指すという意味合いもあります。

今の「中国地方」だけに当てはまるわけではあるわけではないので、やや信憑性に欠けるということですね。

昔の日本の地域区分が由来とする説

2つ目の説は平安時代に定められた、日本の地方区分に由来する説です。

この時代は日本と言う国は畿内(現在の近畿地方)を中心に、近い地域を「近国」、やや遠い地域を「中国」、遠く離れた地域を「遠国」と定めていました。

延喜式」と呼ばれる法律ですが、この区分に従うと、現在の中国地方が「中国」にほぼ相当していたようです。

今でいうと、鳥取、島根、岡山、広島の一部分と四国の香川や徳島辺りが「中国」に該当していました。

しかしこの説にもやや疑問が残ります。

この区分は都を中心に円を広げていくという見方をするので、都から見て西側の「中国」もあれば東側の「中国」もあります。

東側の中国は「駿河」や「伊豆」、「飛騨」などがあり現在の東海道や中部地方がそれに該当します。

だから山陰と山陽だけ「中国地方」とするのはおかしいということなんですね。

大宰府と都の中間にあったという説

これも平安時代の「延喜式」の地方区分に関係する説ではありますが、当時の日本は福岡の大宰府で大陸と交易をしていました。

この大宰府と京の都の中間にあった地域だったから、という説です。

当時の日本は、東日本よりも大陸との交易が盛んな西日本を重視する見方が強かったのですが、この説も裏付ける書物が見つかっているわけではないので、やはり決定打とは言い難いです。




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「大陸中国」の呼び名はどうだった?

3つの説を紹介してきましたが、どれもこれも信憑性に欠けるので、結局ハッキリした由来はわからないということです。

ただ過去の書物や記録を見る限り、既に中世の頃には「中国地方」という呼び名は定着していました。


そうなると気になるのが、「大陸中国」の呼び名ですね。

大陸中国に関しては、昔からそうなのですが、基本的に王朝名で呼ぶのが基本的でした。

唐の時代には“唐”、宋の時代には“宋”、清の時代には“清”という感じです。


ただし王朝が倒れた明治時代末期には大陸で「中華民国」という国が出来て略称を「中国」と呼ぶようになると、日本の「中国地方」と混同されてしまいます。

それだと困るので明治以降は歴代の王朝名とは別に、中国の地域的呼称として特に仏教界で用いられていた「支那(しな)」と言い換えるようになりました。

この言葉は古代インドが中国のことを「チーナ」と呼んでいて、それの漢語訳が由来となっています。

金髪の若者

英語で中国を「china」と呼ぶけど、それの語源ともなっているね。

特に明治期以降は、中国の歴代の王朝名と区別するため「支那」と言い換えることが多くなり、「中国」一語だけで日本の「中国地方」の意味合いが強まっていきました。


因みに現在の日本では、特に旅行業などを中心に中国地方のことを「山陰・山陽地方」と呼んでいます。

また天気予報などは特に大陸中国と区別するため、中国地方に関しては「地方」を省略しなかったり、より広域的に「中国・四国地方」と呼ぶようにしています。



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中華人民共和国の「中国」の由来は?

ここまでは日本の「中国地方」の由来のお話でしたが、中華人民共和国の「中国」の由来って何でしょうか?

キャラ1

単に「中華人民共和国」の略称として「中国」と呼ぶんじゃないの?

まぁこういう答えも強ち間違ってはいませんが、実は「中国」という呼称は既に紀元前からあったとされています。

歴史を遡ると古代の中国に書かれた歴史書では

  • 皇帝は中国の民と~(「書経」の一文)
  • この中国に恵あれ(「詩経」の一文)

ということが書かれています。

ここでいう「中国」とは、単なる「地理的中心部」から来ています。


ですので極端な話、日本の中国地方の昔の呼び名である「葦原中国」と同じような意味として使われていたのです。

ベトナムでも1802年から1945年にかけて存在した「阮朝」という王朝が、自国のことを「中国」と呼んでいました。

女性キャスター

ファンタジーになるけど、名作『ロード・オブ・ザ・リング』でも劇中に「中つ国」という名前の大陸が登場しているよ。




だけど時代を経るにつれて、「中国」という言葉は、漢民族の間で徐々に拡大解釈されていきました。

「地理的な中心部」が徐々に「世界の中心部」へと変わっていったのです。

中国では「中華思想」といって、「自分達がいる場所こそ世界の中心であり、その文化と思想は神聖なものだ」という考えが昔から強かったのです。

昔から周辺諸国との外交は全て朝貢(中国王朝を上として扱うこと)という形式で行っていたのも、これが理由です。

自民族中心の思想ですが、何と言うか今でも中国がアメリカや周辺諸国と覇権争いをしているのも納得できますね。

まとめ

今回は中国地方と中国の違いと、それぞれの由来について解説してきました。それでは内容をまとめましょう。

  • 「中国地方」の由来は「葦原中国」に由来する説、昔の日本の行政区分に由来する説、大宰府と京都の中間にあった説の主に3つ。
  • 「中国地方」の由来は中華人民共和国の「中国」とは関係がない。
  • 「中国」の意味合いは「地理的中心部」から「世界の中心部」へと変わっていった



日本と中国との関係がさんざん悪いと言われている昨今、「中国地方」と呼ぶと若干複雑な気持ちになります。

余談ですが中国地方の中で鳥取県と島根県ってどっちが左で、どっちが右にあるかわかりますか?

答えは「島根が左で鳥取が右」です。

意外とわからないという人も多いでしょうが、やはり日本に住んでいる以上中国地方の地理も覚えておきましょう!




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