皆さんも世界地図でアフリカ大陸を目にすることがあると思います。
しかしよく見ると他の大陸と違って直線の国境が多くなっていますよね?
一体どうしてなのでしょうか?
学校の地理の授業でも習う内容かもしれませんがいざ聞かれても、丁寧にわかりやすく教えられる人はどのくらいいるでしょうか?
改めて見ると世界史、特にヨーロッパ列強国による植民地時代の大きな負の遺産とも言えます。
今回は国境の定義についておさらいしながら、歴史的背景なども加えつつ解説していきます!
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国境はどう決まる?
そもそも国境とはどうやって決まるものなのでしょうか?
国家自体は人間が文明を築いていた紀元前から存在はしていましたが、明確に国と国とを分ける境目というのは山や川といった地理的な要素を除いてありませんでした。
しかし世界最初の国際条約として有名なウェストファリア条約がヨーロッパで締結されたことで転機が訪れます。
それまでやや曖昧だった国家としての領土権や法的主権、主権国家としての定義が確立されたことで国と国との間に明確な境目を地図上に記すようになったのです。
国境は基本的には自然的国境と人為的国境の2つに分類されます。それぞれ簡単に解説していきます。
自然的国境
陸上にある河川や山脈、湖水などの自然物で定義された国境のこと。
代表的な自然的国境としては
- 中国と北朝鮮との間にある白頭山
- フランスとイタリアとの間にあるモンブラン
- アメリカとメキシコとの間にあるリオ・グランデ川
などがあります。
人為的国境
経線や緯度、または道路など人為的な要素で定めた国境のこと。
今回のテーマとなるアフリカ大陸の国境の多くがこれに分類されます。
しかし世界を見渡せば、この人為的国境で最も長く歴史があるのがアメリカ-カナダ間の国境です。
学校の地理の授業でも習うかもしれませんが、別名”北緯49度線“として有名です。
距離にすると全長5525マイル(約9000km)で世界最長の国境です、1846年のオレゴン条約によって確定しました。
あまりにも長い国境のためか、カナダ-アメリカ間で国境に跨る空港が4つもあるほどです(;^^)
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アフリカ大陸の国境はどうやって決まった?
これがアフリカ大陸の国境の図です。
冒頭でも紹介しましたがやはり直線的な国境が多いですね。
一体どれだけあるのか、下の引用ボックスに一覧として掲載しました。
【アフリカ大陸にある人為的国境】
- 北緯26度線:西サハラ-モーリタニア間
- 北緯25度線:マリ-モーリタニア間
- 北緯22度線:エジプト-スーダン間
- 南緯13度線:アンゴラ-ザンビア間
- 東経25度線:リビア-エジプト間
- 東経25度線:リビア-スーダン間
- 東経24度線:リビア-スーダン間
- 東経24度線:チャド-スーダン間
- 東経22度線:アンゴラ-ザンビア間
- 東経21度線:ナミビア-ボツワナ間
- 東経20度線:ナミビア-ボツワナ間
- 東経20度線:ナミビア-南アフリカ共和国間
- 西経12度線:西サハラ-モーリタニア間
※引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E5%A2%83
旧宗主国が勝手に決めた?
緯度や経線を基準にして決めた人為的国境は他の大陸にも一応ありますが、それ以上に際立って多いのがアフリカ大陸と言えます。
上の引用ボックスで13本もの国境を載せましたが、なぜこれほど多くなったのか?
歴史を遡ると、アフリカ大陸の国の多くは1880年代から第一次世界大戦前にかけてヨーロッパ各国により植民地支配された経緯があります。
これがいわゆるアフリカ分割です。
当時まだ未開拓で”暗黒の大陸”といわれたアフリカ大陸の人々にヨーロッパ式の政治制度、言語、文化を与えてやるという文明の大儀の下に正当化されました。
もちろんただの口実に過ぎず、最大の狙いは産業革命の発達で工業のための原料の供給地として、さらに工業製品の市場として囲い込むことでした。
この分割統治の過程で行われた各宗主国同士の話し合いでアフリカの国境を互いに緯度や経度を基準に決めたということです。
ヨーロッパ列強間の力関係が最も影響していて、縦断政策と横断政策で対立したイギリスとフランスが最も多くの国を支配することになりました。
これが植民地支配が終わった現代でも続いているのですが、現在でも民族紛争の原因になっていることが多いです。
どこの地域にどの民族が住んでいたのか?また宗教や文化の分布もよくわからずに無理矢理引いてしまった側面もあるので1つの国に複数の民族が混在したり、元々1つの民族だった国が分割されるといった悲劇も起きました。
黒人からしたら白人たちが勝手に押し寄せてきて、勝手に線を引いて「ここから先は俺達の領土!」と縄張り争いしている中で勝手に自分達の領土が分割されちゃったので納得いかないでしょう。
もちろんそのことを理解している良識な白人も少なくありません、歴史の授業で必ず習うはずですからね。
逆に言えばそれほど欧米の人達はアフリカの支援や紛争の解決に重々責任を負わないといけないわけです。
まとめ
今回はアフリカの国境問題について歴史を振り返りながら解説していきました。
結果論になってしまいますが、現在でも続いている民族紛争の最大の原因を作ったのが欧州各国だといえます。
またアフリカの経済については最後のフロンティア市場として注目されています。
そのためにも安定した政治情勢になることが望ましいのですが、分割統治時代に無理矢理決められた国境により生じた負の遺産は未だにアフリカの発展を妨げている要因といえます。
またアフリカの国の多くがイスラム教であるために欧米に対しての反感も根強いという側面も無視できません。
日本もアフリカへの投資を積極的に働きかけていますが、まだまだ先行きが見えづらいとしか言いようがないですね。
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