僕の地元は福岡県ですが、その福岡県はご存じ九州に属する県です。
子供の頃は熊本や大分、佐賀など同じ九州の都道府県にいろいろ遊びに行く機会も多かったのですが、当時から凄く疑問に思っていたことがあります。
「九州って9つの州ってことじゃないの?どうして都道府県が7つなの?」
当たり前のように浸透していた事実なんですが、いまさら聞かれると大人でも正確には答えられないんですよね。
九州なのに7県しかない理由は、九州出身の人でも知らない人は多いみたいです。僕も含めて(笑)
「四国」は4つの県だから「四国」というのはわかるけど、どうして「九州」は違うの?
大昔の九州はどんな行政区分だったんだろう?
どうして7つの県しかないのに「九州」と呼ばれるのか、歴史を含めて詳しく紹介していきますよ!
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「九州」の名前の由来とは?
九州とは日本列島を構成する島の一つで、本州・北海道に次いで3番目に大きい島です。
九州を構成する都道府県はいずれも九州の島の中に属していて、
- 福岡県
- 佐賀県
- 長崎県
- 大分県
- 熊本県
- 宮崎県
- 鹿児島県
の7県があります。
ここで九州は数字の「9」が名称で使われているのに、7つの都道府県しかないという点が、早くも謎ですよね。
そもそも九州の「九」と「州」は何を意味するんでしょうか?
改めて九州の由来について、簡単に説明しますとこうになります。
大宝律令で定められた西海道の9国の総称
要するに、九州に昔存在していた国が9つあって、その名残で今でも「九州」と呼ばれているわけです。
もちろん昔は「県」ではなく「国」だったので、そのまま「九国」とも呼ばれていました。
これが昔の九州の地図です。
今とは県境も大きく違っていますが、内訳を順に解説しますと
- 筑前国:福岡県西部
- 筑後国:福岡県南部
- 豊前国:福岡県東部と大分県北部
- 豊後国:大分県の大部分
- 肥前国:佐賀県と長崎県(壱岐と対馬以外)
- 肥後国:熊本県
- 日向国:宮崎県
- 大隅国:鹿児島県東部と奄美諸島
- 薩摩国:鹿児島県西部
となります。
これらの国の中でも長崎県の壱岐と対馬は九国に編入されたことは一度もなく、奄美諸島は明治時代に編入され、沖縄県は昔は琉球という国だったので一度も編入されたことはありません。
この名称は『古事記』と『日本書紀』で確認されますが、それらの書物による九州の呼称表記は「筑紫島(つくしのしま)」となっています。
「筑紫」という言葉は現在でも福岡県にある「筑紫野市」でお馴染みですが、春日市と大野城市と太宰府市の4つの市を合わせて「筑紫地域」と呼ばれています。
またかつて「筑紫国」という国が古代にあって、それが分割して筑前国と筑後国になりました。
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明治に入り7県へ
飛鳥時代後期の701年に定められた大宝律令により、9国に区分された九州でしたが、それが7県に変わったのは明治時代になってからです。
1871年に行われた廃藩置県によってそれまであった「藩」がなくなり、文字通り「県」が置かれました。
その結果一部の藩が統合したり改名して、九州では現在の7県になりました。
- 筑前と筑後と豊前が統合→福岡県
- 豊前と豊後が統合→大分県
- 肥前の北部→佐賀県
- 肥前の南部→長崎県
- 肥後→熊本県
- 日向→宮崎県
- 大隅と薩摩が統合→鹿児島県
沖縄県についてもこの時期に琉球から呼び名が変わりました。
しかし沖縄県を九州に含めるかどうかという明確な規定は、現在の法律ではありません。
単に「九州」と言ったら、通常は沖縄を除いた7県を指します。
天気予報などでも沖縄を含めて呼ぶ場合は「九州・沖縄地方」と呼ぶようになっているよ。
九州に沖縄県を含む例は、例えば警察庁の区間や衆院選挙のブロック、福岡高等裁判所など国の行政機関が多いね。
また七つの県になったからと言って、そのまま「七州」にならなかったのはちょっと腑に落ちないかもしれません。
この点は例えば、昔の地方の呼び名をそのまま現在でも用いている「中国地方」と共通しています。
※「中国地方」がどうして「中国」と呼ばれているのか。その由来は以下の記事で詳しくまとめています。
日本の「中国地方」と「中華人民共和国」の略称である「中国」との関係は何かあるのでしょうか?「中国地方」という名称は既に中世の日本からありましたが、それぞれの名称の由来の違いなど、詳しく探っていきます!
「九州」という言葉の別の由来は?
「九州」という地名の由来についての説明は、普通ならこれで終わりそうなんですが、実はまだほかにも面白い説がありました。
そもそも「九州」が律令時代に定められた旧国名の数が由来になっているなら、そのまま「九国」でいいはずです。
なぜならお隣にある「四国」地方は、「国」になっていますから。
それでも九州が「国」ではなく、「州」という漢字になっているのはなぜでしょうか?
ここで「州」という漢字の意味を説明しますと、古代中国で定められた地方行政区画の一つで、国の通称でした。
日本でも近世以前では「遠州」や「紀州」など、やはり国を表す言葉でも使われていたのです。
だから上で紹介した旧国名の筑前や豊前は、「筑前州」・「豊前州」とも呼ばれていました。
さらにもっと重要な証拠となるのは、16世紀の戦国時代を描いた『陰徳太平記』という軍記物語にあります。
この書物は1717年に世に出ましたが、「山陰山陽四国九州」と記載されている箇所が確認されています。
またそれよりさらに遡ると、鎌倉時代の歴史書で源範頼が「九州」を攻めようとした記載も確認されています。
このように既に大昔から、「九州」という用語はあったというわけです。
この言葉がいつ出たのか、正確な年代は不明ですが、実は中国の古代の「周」王朝時代以前に、全土を9つの「州」に分けて支配する習慣があったので、それが由来にあるとされています。
日本以外だと、朝鮮半島の「新羅」(西暦935年まであった王朝)でも九州がありました。
「九州」という言葉は単に「9つの国」という意味ではなく、「天下」という意味合いにも取れます。このことから九州に古代の王朝が存在した『九州王朝説』もあるんですよ。
「漢委奴国王」と彫られた金印が見つかったのも、博多湾の志賀島だよね。
まとめ
今回は「九州」の言葉の由来についての解説でした。それではまとめといきましょう!
- 「九州」という地名は、大宝律令時代に定められた旧国名の数が由来となっている
- 九州にあった9国とは、筑前・筑後・豊前・豊後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩
- 明治時代の廃藩置県で、7県になったが、「七州」にはならなかった
- 大宝律令以前の九州の呼び名は「筑紫島」
- 「九州」という言葉は「天下」という意味合いもある
由来を探れば、「昔あった国の数が9つだったからそのまま九州と呼ばれている。」という説明で終わります。
しかし古代中国の言葉を借りて、「天下」という意味合いもあるので、個人的にはこっちの説も採用したいです。
「九州にその昔王朝があった。」というのは、九州の人にとっては誇りに思えるような事実ですからね。
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